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例大祭後の挨拶もそこそこに、原稿してますー。これだから漫画描きは人間じゃねえ・・・!
すいません、そのうちによきところでー。
例大祭本レビューをしなさいと聖★おねえさんに言われた気がするので、サボりがてらまず漫画を。



・a Puppet Show(1~3)/しぐれ海老
上海がすごくかわいい。すごくかわいい。あとアリスと、上海がす(Σ

うーんと、二次創作で「足りない」部分ってのは個人的にはかなり大事な要素だと思います。
一言、原作じゃねえもん。
ある種まっとうな作劇手法を用いて過不足なく語り、世界を見せていくやりかたは、一次創作であれば全然OKでも二次創作ではともすれば気持ち悪さの基になる場合があったりする。つまり「原作ではない何か」。
まともすぎちゃうのだ。作品に対する姿勢が一次でのそれと同じだから作者が飲まれちゃって原作者もどき、てのはよくあります。
または、まったく別の要素を原作に織り込む作品もありますが
(ホラーだとか、SFだとか、推理、クロスオーバー、あと恋愛だとか)
まあ好きにやりゃいいんですけど、これもまあタガが外れると「他所でやれ」状態というか。

それでもいいっちゃいいんですけど。(どだい、演繹的に漫画を見てる訳ないし)

これをして曰く、感情の分水嶺に原作へのリスペクトとか愛とかよく(もまあ、しゃあしゃあと)言われますけど、もう少し突っ込むと、技術と、愛と、足りなさです。
作品から感じられる原作その他への愛が技術や論理計算に基づいた産物でない保証はどこにもありません。
もしくは愛かもしれません。
足りなさってのは技術としてくくれない位にけっこう有用で、描かれてるものの効果をより高めたり、読み手側の補完に委ねることで矛盾や誤謬、さらに上の「別物感」を抑えたりすることができます。死活問題として作画の短縮にもなります(Σ)。それは作劇としてまったくマイナスではなくプラスに転化されうる部分なのだよ。

明智君。

というわけで、すごくよかったです。いやもう、悔しい。
こういう感想をぶつあたり視点がままアレなので、それ込みで、結末とか、完全版とか、おのおのがたはご判断くださいましね。



おゆはんはマーボー食べました。
マーボーは辛いほうがいいが、最近出た暴君ハバネロの新型はそろそろどこに行きたいのかよくわからないです。
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アルコール度数37度の漫画描き。
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